ニュース概要
📝 編集部メモ
戦国時代というと、殺伐とした世を思い浮かべます。
でも、乱世にあっても人は人。主従の心通い合う様が伝わってくる逸話が、数多く残されています。頼りなさげな弱将や油断ならぬ謀将が見せる意外な横顔…。
このニュースが話題を集めている。5chでは以下のような反応が見られた。
5chの反応(1件)
1:サンコちゃん(秋田県) [US] 2026/05/05(火) 12:13:38.62 ID:TXDbr+rI0●
“お風呂”で家臣の心を鷲づかみした蒲生氏郷
蒲生氏郷は、はじめ織田信長の家臣であり、その才を見込まれて信長の次女を娶って、数々の合戦で武功を挙げた武将だ。信長の死後は羽柴秀吉に属し、
天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」の功により、伊勢国松ケ島城城主となった。
蒲生氏郷は、はじめ織田信長の家臣であり、その才を見込まれて信長の次女を娶って、数々の合戦で武功を挙げた武将だ。信長の死後は羽柴秀吉に属し、
天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」の功により、伊勢国松ケ島城城主となった。
しかし、そのころの氏郷は金銭面で非常に苦労しており、手柄を立てた家臣に対しても十分な恩賞が出せないほどだった。そこで氏郷は、あるとき功のあった
家臣たちを屋敷に招き、酒や料理でもてなしたあと、風呂に入るよう勧めた。
家臣たちが湯船に浸かっていると、外から湯加減を聞く声がする。声に聞き覚えがあったため、家臣たちが湯殿の外を覗いてみると、なんと氏郷が煤で顔を
黒く汚しながら薪をくべて風呂を焚いていた。
当時、風呂を焚くなどというのは下男の仕事だったが、恩賞を与えられない代わりに、せめてもの心尽くしとして氏郷は自らの手で風呂を焚き、
家臣たちをもてなしたのだ。その主君の姿に、家臣たちは心打たれ、涙したという。
その後、手厚いもてなしに感激した家臣たちによって、この話は「蒲生風呂」として家中に広まった。そして、そのとき屋敷に招かれなかった家臣たちは、
自分たちもいつかは「蒲生風呂」に入りたいと懸命に奉公に励むようになったと伝えられている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/238473e71cdbae62c898d35d3678c4dba3df5af2