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小牧・長久手の戦いでなんで織田信雄は羽柴秀吉と単独講和したの?

小牧・長久手の戦いでなんで織田信雄は羽柴秀吉と単独講和したの?

羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康が相対した「小牧・長久手の戦い」のさなか、秀吉が家臣に宛てた朱印状2点が兵庫県たつの市の民家で見つかり、市立龍野歴史文化資料館が4日発表した。家康側から和議の申し出があった

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📝 編集部メモ

羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康が相対した「小牧・長久手の戦い」のさなか、秀吉が家臣に宛てた朱印状2点が兵庫県たつの市の民家で見つかり、市立龍野歴史文化資料館が4日発表した。家康側から和議の申し出があった

SNSなどで注目が集まっている。5chでは以下のような反応が見られた。

5chの反応(63件)

1:サソリ固め(秋田県) [US] 2026/08/04(火) 20:09:53.72 ID:kghf8N+p0●

羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康が相対した「小牧・長久手の戦い」のさなか、秀吉が家臣に宛てた朱印状2点が兵庫県たつの市の民家で見つかり、市立龍野歴史文化資料館が
4日発表した。家康側から和議の申し出があったことなどが記されており、専門家は「戦いを再評価する上で貴重な資料になる」とみている。

【写真】長久手古戦場記念館では火縄銃の射撃体験もできる

同館によると、1点は天正12(1584)年4月21日の日付で、「賤ケ岳(しずがたけ)の七本槍」として知られる脇坂安治ら家臣2人に宛てて書かれていた。9日の戦いに敗れたあと、
2人から受け取った陣中見舞いに対し、重臣の池田恒興(つねおき)と森長可(ながよし)が討ち死にしたが心配無用ということや、別の戦いに対する指示などが記されている。

もう1点は同年9月6日付で脇坂宛て。家康側から「人質を出す」と和議の申し出があり、同意しないでいるとさらに人質を出すと言ってきた−などという内容。

村井祐樹・東大史料編纂(へんさん)所准教授(日本中世史)は「『家康側が勝った』とされる戦いだが、2点を合わせ、戦いの趨勢(すうせい)をより詳しく知るための貴重な資料になる」と評価する。

朱印状はいずれも元龍野藩士の子孫方にあり、額装して室内に飾られていた。藩主・脇坂氏の家系から譲り受けたとみられる。

小牧・長久手の戦い 秀吉が天下統一を目指す途上の天正12(1584)年3〜11月、尾張(今の愛知県)を主戦場に、秀吉軍と織田信長の次男・信雄(のぶかつ)と
徳川家康の連合軍が複数箇所で激戦を展開。戦いは家康側が勝利したとされるが近年、さまざまな角度から見直しが進められている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a23aa39dcc1b6bef57274bbb645bb4716bf6b698

2:フライングニールキック(みかか) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:10:46.65 ID:iqsDrEQJ0

>>1
今Yahoo=5ch

今日秋田で世界でも有名なcarnivalやってるけど
何処の町内勝ちそう?

3:かかと落とし(みょ) [PL] 2026/08/04(火) 20:11:36.25 ID:IVBaY/jS0

池田恒興と森長可が討ち取られてビビっちゃった
5:ファイヤーボールスプラッシュ(茸) [US] 2026/08/04(火) 20:13:37.55 ID:LWj2RdIx0

雑魚専の森は酒井忠次・榊原康政には敵わなかった
それだけ
6:ドラゴンスクリュー(庭) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:14:55.34 ID:7HF7Dz2Y0

織田のぶおでいいじゃん なんだよかつって
7:フライングニールキック(みょ) [TW] 2026/08/04(火) 20:16:24.59 ID:mXvUrpXq0

神君家康公アゲの為に勝ってたのに信雄のアホが講和したって事になってるけど、小牧長久手以外でも織田徳川連合と羽柴軍とは戦ってて、他では全部負けて織田信雄の本拠地の長島城が包囲されそうになってたからだよ。
8:ウエスタンラリアット(埼玉県) [US] 2026/08/04(火) 20:16:28.89 ID:FdQEDQfx0

言うて秀吉軍のほうが数多いんだから、真珠湾攻撃した直後に講和して有利な条件を出すみたいな感じかと
9:フルネルソンスープレックス(茸) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:16:33.75 ID:gZLj6YqZ0

この戦いは戦術と戦略の違いがよくわかる
家康は戦術では勝ったが秀吉の戦略に負けた
のぶおはその道具として利用されただけだ
10:チェーン攻撃(埼玉県) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:17:15.46 ID:vdVSwxF/0

俺らが知ってる秀吉エピソードって、99%嘘話らしいじゃん。
こういう資料って目茶苦茶貴重だよね。
11:膝靭帯固め(やわらか銀行) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:17:52.11 ID:+orscZLy0

信雄の本貫地 伊勢が焼け野原にされたから
降伏した
22:ダイビングエルボードロップ(大阪府) [JP] 2026/08/04(火) 20:29:35.06 ID:/7PQ7ApZ0

でも結局豊臣政権内に徳川という野党的な存在を迎えざるをえなくなったから
24:ムーンサルトプレス(茸) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:31:07.18 ID:hTKqK9J40

結局のところ戦況を動かすのは鉄砲
秀吉は信長から受け継いだ数千丁の鉄砲があった
逆に家康は武田を滅ぼした後に武田の遺臣を大量に採用して武田騎馬軍団の甲州軍学の強力だが旧時代的な軍隊になってしまった
28:ジャーマンスープレックス(ジパング) [ニダ] 2026/08/04(火) 20:43:13.69 ID:tbLQEeeW0

武田騎馬軍が騎馬隊突撃したという資料は無い。馬は主に将が移動用に使ったり、平坦の運搬に使用したとされる
35:ファイヤーバードスプラッシュ(東京都) [ニダ] 2026/08/04(火) 21:02:21.90 ID:P7TwW67q0

>>24
勘違いされてるけど武田も鉄砲の保有率はそれなりにあったよ
信玄が鉄砲の有用性に気づいて甲斐金で買い漁ってたし四期川中島で数百丁保有してた
信長が堺を抑えてたとはいえ雑賀衆らは鉄砲弾薬事欠かなかったし本願寺ルートで鉄砲弾薬入手出来た
鉄砲の恐ろしさを知ってからこそ研究して竹束を盾にして防ぐのを考案したのも武田で(対謙信で氏康と共同で戦った時)竹束盾は戦国末期まで通用した対鉄砲への画期的な発明
37:ドラゴンスクリュー(東京都) [ニダ] 2026/08/04(火) 21:09:14.22 ID:EILNYu/80

武田騎馬隊が恐ろしいのは機動力による的確で迅速な配置
鎌倉と同じく天然の要塞であり経路が限られているので守備が容易であった
攻めた国は狭い道を戻ることもままならず大損害を被るしか無かった
47:ローリングソバット(庭) [ニダ] 2026/08/04(火) 23:30:28.50 ID:NFs+4Znb0

家康との消耗戦よりも、2正面作戦となっても信雄を攻める方を選んだ
結果、信雄は講和(実質敗北)

秀吉の勝利
家康は秀吉の背後を突くことができず、信雄を救援できずに敗北したんだよ

52:サソリ固め(東京都) [JP] 2026/08/05(水) 01:15:09.83 ID:TWZKd7hC0

>>22
徳川て関東8州へ転封されても200万石の1大名としては豊臣より上の直轄領地持ち
これを秀吉が生きてる内に徳川を弱体化出来んかった時点で負け
61:レッドインク(ジパング) [ニダ] 2026/08/05(水) 10:48:55.24 ID:bcOeR6ut0

もう、くだらないノビナガ、猿吉は日本史から省け
語る価値も無く、省いても日本史は成立する

京の公家社会からあぶれて、兄弟の受領国である三河国に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河国から徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨している

日本史で語る価値があるのはコレだけ

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む

引用元:5ちゃんねる(全63件)

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📝 編集部コメント

「小牧・長久手の戦いでなんで織田信雄は羽柴秀吉と単独講和したの?」について。速報として伝えられたこのニュース、今後の続報にも注目です。 さまざまな意見が飛び交っており、考えさせられる話題です。 引き続き最新情報をチェックしてみてください。

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